2102ページ
終をさんだんし、地獄の苦を増長せしむる。譬えば、つみふかき者を口をふさいできゅうもんし、はれ物の口をあけずしてやまするがごとし。
しかるに、今の御消息に云わく「いきて候いし時よりも、なおいろしろく、かたちもそんぜず」と云々。天台云わく「白々は天を譬う」。大論に云わく「赤白端正なる者は天上を得」云々。天台大師御臨終の記に云わく「色白し」。玄奘三蔵御臨終を記して云わく「色白し」。一代聖教の定まれる名目に云わく「黒業は六道にとどまり、白業は四聖となる」。これらの文証と現証をもってかんがえて候に、この人は天に生ぜるか。
はたまた、「法華経の名号を臨終に二反となう」と云々。
法華経の第七の巻に云わく「我滅度して後において、応にこの経を受持すべし。この人は仏道において、決定して疑いあることなけん」云々。一代の聖教、いずれもいずれもおろかなることは候わず。皆、我らが親父・大聖・教主釈尊の金言なり。皆真実なり、皆実語なり。その中において、また小乗・大乗、顕教・密教、権大乗・実大乗あいわかれて候。仏説と申すは、二天三仙の外道、道士の経々にたいし候えば、これらは妄語、仏説は実語にて候。この実語の中に、妄語あり、実語あり、綺語も悪口もあり。その中に、法華経は実語の中の実語なり。真実の中の真実なり。真言宗と華厳宗と三論と法相と俱舎・成実と律宗と念仏宗と禅宗等は、実語の中の妄語より立て出だせる宗々なり。法華宗は、これらの宗々にはにるべくもなき実語なり。法華経の実語なるのみならず、一代妄語の経々すら、法華経の大海に入りぬれば、法華経の御力にせめられて実語となり候。いおうや、法華経
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(408)妙法尼御前御返事(臨終一大事の事) | 弘安元年(’78)7月14日 | 57歳 | 妙法尼 |