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もまた兵起・飢疫・飢饉・非時の風雨・闘諍言訟・譏謗あらしめ、またその王をして久しからずしてまた当に己が国を亡失すべからしむ」等云々。
夫れ、諸経に諸文多しといえども、この経文は身にあたり時にのぞんで殊に尊くおぼうるゆえに、これをせんじいだす。この経文に「我ら」とは、梵王と帝釈と第六天の魔王と日月と四天等の三界の一切の天竜等なり。これらの上主、仏前に詣して誓って云わく「仏の滅後、正法・像法・末代の中に正法を行ぜん者を邪法の比丘等が国主にうったえば、王に近きもの、王に心よせなる者、我がたっとしとおもう者のいうことなれば、理不尽に是非を糾さず彼の智人をさんざんとはじにおよばせなんどせば、その故ともなく、その国ににわかに大兵乱出現し、後には他国にせめらるべし。その国主もうせ、その国もほろびなんず」ととかれて候。いたいとかゆきとは、これなり。
予が身には今生にはさせる失なし。ただ国をたすけんがため、生国の恩をほうぜんと申せしを、御用いなからんこそ本意にあらざるに、あまつさえ召し出だして、法華経の第五の巻を懐中せるをとりいだしてさんざんとさいなみ、結句はこうじをわたしなんどせしかば、申したりしなり。「日月、天に処し給いながら、日蓮が大難にあうを今度かわらせ給わずば、一つには、日蓮が法華経の行者ならざるか、たちまちに邪見をあらたむべし。もし日蓮、法華経の行者ならば、たちまちに国にしるしを見せ給え。もししからずば、今の日月等は釈迦・多宝・十方の仏をたぶらかし奉る大妄語の人なり。提婆が虚誑罪、俱伽利が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給える大妄語の天なり」と声をあげて申せしかば、たちまちに出来せる自界反逆難なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |