1937ページ
(350)
伯耆殿等御返事
弘安2年(ʼ79)10月12日 58歳 日興・日秀・日弁等
大体この趣をもって書き上ぐべきか。ただし、熱原の百姓等安堵せしめば、日秀等、別に問注有るべからざるか。大進房・弥藤次入道等の狼藉のことに至っては、源、行智の勧めによって殺害・刃傷するところなり。もしまた起請文に及ぶべきことこれを申さば、全く書くべからず。その故は、人に殺害・刃傷せられたる上、重ねて起請文を書き、失を守るは、古今未曽有の沙汰なり。その上、行智の所行、書かしむるごとくならば、身を容るる処なく、行うべきの罪、方無きか。あなかしこ、あなかしこ。この旨を存し、問注の時、強々とこれを申せ。定めて上聞に及ぶべきか。また行智、証人を立て申さば、彼らの人々、行智と同意して百姓等が田畠数十刈り取る由これを申せ。もしまた証文を出ださば、謀書の由これを申せ。ことごとく証人の起請文を用いるべからず。ただ現証の殺害・刃傷のみ。もしその義に背く者は、日蓮の門家にあらず、日蓮の門家にあらず。恐々謹言。
弘安二年十月十二日 日蓮 花押
伯耆殿
日秀・日弁等に下す。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(350)伯耆殿等御返事 | 弘安2年(’79)10月12日 | 58歳 | 日興・日秀・日弁等 |