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六波羅蜜経の醍醐は陳・隋の世にはわたりてあらばこそ天台大師は真言の醍醐をば盗ませ給わめ。傍例あり。日本の得一が云わく「天台大師は深密経の三時教をやぶる。三寸の舌をもって五尺の身をたつべし」とののしりしを、伝教大師これをただして云わく「深密経は唐の始め玄奘これをわたす。天台は陳・隋の人、智者御入滅の後数箇年あって深密経わたれり、死して已後にわたれる経をば、いかでか破り給うべき」とせめさせ給いて候いしかば、得一はつまるのみならず、舌八つにさけて死し候いぬ。
これは彼にはにるべくもなき悪口なり。華厳の法蔵、三論の嘉祥、法相の玄奘、天台等、乃至南北の諸師、後漢より已下の三蔵・人師を皆おさえて、盗人とかかれて候なり。その上、また法華経を醍醐と称することは、天台等の私の言にはあらず。仏、涅槃経に法華経を醍醐ととかせ給い、天親菩薩は法華経・涅槃経を醍醐とかかれて候。竜樹菩薩は法華経を妙薬となづけさせ給う。されば、法華経等を醍醐と申す人盗人ならば、釈迦・多宝・十方の諸仏・竜樹・天親等は盗人にておわすべきか。
弘法の門人等、乃至日本の東寺の真言師、いかん。自眼の黒白はつたなくして弁えずとも、他の鏡をもって自禍をしれ。この外、法華経を戯論の法とかかるること、大日経・金剛頂経等にたしかなる経文をいだされよ。たとい彼々の経々に法華経を戯論ととかれたりとも、訳者の誤ることもあるぞかし。よくよく思慮のあるべかりけるか。孔子は九思一言、周公旦は沐には三たびにぎり、食には三たびはかれけり。外書のはかなき世間の浅き事を習う人すら、智人はこう候ぞかし。いかにかかるあさましきことはありけるやらん。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |