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一、十郎入道殿の御けさ、悦び入って候よし、かたらせ給え。
一、さぶろうざえもんどのの、このほど人をつかわして候いしが、おおせ候いしこと、あまりにかえすがえすおぼつかなく候よし、わざと御わたりありて、きこしめしてかきつかわし候べし。また、さえもんどのにも、かくと候え。
かわのべどの等の四人のこと、はるかにうけたまわり候わず。おぼつかなし。かの辺になに事か候らん。一々にかきつかわせ。度々この人々のことは、ことに一大事と天をせめまいらせ候なり。さだめて、後生はさておきぬ、今生にしるしあるべく候と存ずべきよし、したたかにかたらせ給え。
伊東八郎ざえもん、今はしなののかみは、げんにしにたりしを、いのりいけて念仏者等になるまじきよし明性房におくりたりしが、かえりて念仏者・真言師になりて無間地獄に堕ちぬ。のと房は、げんに身かたで候いしが、世間のおそろしさと申し、よくと申し、日蓮をすつるのみならず、かたきとなり候いぬ。しょう房もかくのごとし。
おのおのは随分の日蓮がかとうどなり。しかるに、なずきをくだきていのるに、いままでしるしのなきは、この中に心のひるがえる人の有るとおぼえ候ぞ。おもいあわぬ人をいのるは、水の上に火をたき、空にいえをつくるなり。この由を四人にかたらせ給うべし。むこり国のことのあうをもっておぼしめせ。日蓮が失にはあらず。
ちくご房・三位・そつ等をば、「いとまあらば、いそぎ来るべし。大事の法門申すべし」とかたらせ給え。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(229)弁殿御消息(師弟同心の祈りの事) | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 日昭 |