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「諸の無智の人の、悪口・罵詈等し、および刀杖を加うる者有らん」云々。これらの経文は、悪口・罵詈乃至打擲すれどもととかれて候は、説く人の失となりけるか。
求めて云わく、この両説は水火なり。いかんが心うべき。
答えて云わく、天台云わく「時に適うのみ」。章安云わく「取捨宜しきを得て、一向にすべからず」等云々。釈の心は、ある時は謗じぬべきにはしばらくとかず、ある時は謗ずとも強いて説くべし、ある時は一機は信ずべくとも万機謗ずべくばとくべからず、ある時は万機一同に謗ずとも強いて説くべし。
初成道の時は、法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵・文殊・普賢・弥勒・解脱月等の大菩薩、梵帝・四天等の凡夫大根性の者かずをしらず。鹿野苑の苑には、俱隣等の五人、迦葉等の二百五十人、舎利弗等の二百五十人、八万の諸天。方等大会の儀式には、世尊の慈父の浄飯大王ねんごろに恋いせさせ給いしかば、仏、宮に入らせ給いて観仏三昧経をとかせ給い、悲母の御ために忉利天に九十日が間籠もらせ給いしには、摩耶経をとかせ給う。慈父・悲母なんどには、いかなる秘法か惜しませ給うべきなれども、法華経をば説かせ給わず。せんずるところ、機にはよらず、時いたらざれば、いかにもとかせ給わぬにや。
問うて云わく、いかなる時にか小乗・権経をとき、いかなる時にか法華経を説くべきや。
答えて云わく、十信の菩薩より等覚の大士にいたるまで、時と機とをば相知りがたきことなり。いかにいわんや、我らは凡夫なり。いかでか時機をしるべき。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |