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なして地夭申すに及ばず。月々に悪風、年々に飢饉・疫癘来って、万民ほとんどつきなんとせし上、四方の国より阿闍世王を責む。既に危うく成って候いしほどに、阿闍世王、あるいは夢のつげにより、あるいは耆婆がすすめにより、あるいは心にあやしむことありて、提婆達多をばうち捨て仏の御前にまいりて、ようようにたいほう申せしかば、身の病たちまちにいえ、他方のいくさも留まり、国土安穏になるのみならず、三月の七日に御崩御なるべかりしが、命をのべて四十年なり。千人の阿羅漢をあつめて、一切経ことには法華経をかきおかせ給いき。今我らがたのむところの法華経は、阿闍世王のあたえさせ給う御恩なり。
これはさておきぬ。仏の阿闍世王にかたらせ給いしことを日蓮申すならば、日本国の人は今つくれる事どもと申さんずらんなれども、我が弟子檀那なればかたりたてまつる。仏言わく「我が滅後、末法に入って、また調達がようなるとうとく五法を行ずる者国土に充満して、悪王をかたらいて、ただ一人あらん智者を、あるいはのり、あるいはうち、あるいは流罪、あるいは死に及ぼさん時、昔にもすぐれてあらん天変地夭・大風・飢饉・疫癘年々にありて、他国より責むべし」と説かれて候。守護経と申す経の第十の巻の心なり。
当時の世にすこしもたがわず。しかるに、日蓮はこの一分にあたれり。日蓮をたすけんと志す人々少々ありといえども、あるいは心ざしうすし、あるいは心ざしはあつけれども、身ごうごせず。ようようにおわするに、御辺はその一分なり。心ざし人にすぐれておわする上、わずかの身命をささうるもまた御故なり。天もさだめてしろしめし、地もしらせ給いぬらん。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(205)四条金吾殿御返事(智人弘法の事) | 建治2年(’76)9月6日 | 55歳 | 四条金吾 |