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人の一分に当たり候か。しかりといえども、いまだ御尋ねに予からず候のあいだ、重ねて諫状を捧ぐ。
希わくは、御帰依の寺僧を停止せられ、よろしく法華経に帰せしむべし。もししからずんば、後悔何ぞ追わん。この趣をもって十一所に申せしめ候なり。定めて御評議有るべく候か。ひとえに貴殿を仰ぎ奉る。早く日蓮が本望を遂げしめ給え。
十一箇所と申すは平左衛門尉殿に申せしむるところなり。委悉申したく候といえども、上書分明なるのあいだ、省略せしめ候。御気色をもって御披露、庶幾せしむるところに候。恐々謹言。
文永五年戊辰十月十一日 日蓮 花押
謹上 宿屋入道殿
(066)
平左衛門尉頼綱への御状
文永5年(ʼ68)10月11日 47歳 平左衛門尉頼綱
蒙古国の牒状到来について、言上せしめ候い畢わんぬ。
そもそも、先年、日蓮、立正安国論にこれを勘えたるがごとく、少しも違わず符合せしむ。しかるあいだ、重ねて訴状をもって愁鬱を発かんと欲す。ここをもって、諫旗を公前に飛ばし、争戟を私後に立つ。しかしながら、貴殿は、一天の屋梁たり、万民の手足たり。いかでか、この国滅亡のことを歎かざらんや、慎まざらんや。早く、すべからく退治を加えて謗法の咎を制すべし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(065)宿屋左衛門光則への御状 | 文永5年(’68)10月11日 | 47歳 | 宿屋光則 |
(066)平左衛門尉頼綱への御状 | 文永5年(’68)10月11日 | 47歳 | 平左衛門尉頼綱 |