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問うて云わく、慈覚・智証等、理同事勝の義を存す。いかでか、これらの大師等に過ぎんや。
答えて云わく、人をもって人を難ずるは、仏の誡めなり。何ぞ汝、仏の制誡に違背するや。ただ経文をもって勝劣の義を存すべし。
難じて云わく、末学の身として祖師の言に背かば、これを難ぜざらんや。
答う。末学の祖師に違すること、これを難ぜば、何ぞ智証・慈覚の天台・妙楽に違すること、何ぞこれを難ぜざるや。
問うて云わく、相違いかん。
答えて云わく、天台・妙楽の意は「已今当の三説の中に法華経に勝れたる経これ有るべからず。もし法華経に勝れたる経これ有りといわば、一宗の宗義これを壊るべし」の由これを存す。もし「大日経は法華経に勝る」といわば、天台・妙楽の宗義たちまちに破るべきか。
問うて云わく、天台・妙楽の已今当の宗義は、証拠経文に有りや。
答えて云わく、これ有り。法華経法師品に云わく「我が説くところの経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。しかもその中において、この法華経は最もこれ難信難解なり」等云々。この経文のごとくんば、五十余年の釈迦の説くところの一切経の内には法華経は最も第一なり。
難じて云わく、真言師の云わく「法華経は釈迦の説くところの一切経の中に第一なり。大日経は大日如来説くところの経なり」。
答えて云わく、釈迦如来より外に、大日如来、閻浮提において八相成道して大日経を説けるか〈こ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(054)法華真言勝劣事 | 文永元年(’64)7月29日 | 43歳 |