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華経を離れては、永く枯木・敗種なり。今は再生の華果なり。他経の行者と相論をなす時は、華光如来・光明如来等はいずれの方に付くべきや。華厳経等の諸経の仏菩薩・人天乃至四悪趣等の衆は皆、法華経において一念三千・久遠実成の説を聞いて正覚を成ずべし。いずれの方に付くべきや。
真言宗等と外道ならびに小乗・権大乗の行者等と敵対相論をなすの時は、甲乙知り難し。法華経の行者に対する時は、竜と虎と、師子と兎との闘いのごとく、諍論は分絶えたるものなり。恵亮脳を破るの時、次弟位に即き、相応加持するの時、真済の悪霊伏せらるる等これなり。一向真言の行者は法華経の行者に劣れる証拠これなり。
問うて云わく、義釈の意は、法華経・大日経共に二乗作仏・久遠実成を明かすや、いかん。
答えて云わく、共にこれを明かす。義釈に云わく「この経の『心の実相』は、彼の経の『諸法の実相』なり」云々。また云わく「『本初』はこれ『寿量』の義なり」等云々。
問うて云わく、華厳宗の義に云わく「華厳経には二乗作仏・久遠実成これを明かす」。天台宗はこれを許さず。宗論はしばらくこれを置く。人師を捨てて本経を存せば、華厳経においては二乗作仏・久遠実成の相似の文これ有りといえども、実にはこれ無し。これをもってこれを思うに、義釈には大日経において二乗作仏・久遠実成を存すといえども、実にはこれ無きか、いかん。
答えて云わく、華厳経のごとく相似の文これ有りといえども、実義これ無きか。
私に云わく、二乗作仏なくんば、四弘誓願満足すべからず。四弘誓願満ぜずんば、また別願も満ずべからず。総別の二願満ぜずんば、衆生の成仏も有り難きか。能く能く意得べし云々。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(054)法華真言勝劣事 | 文永元年(’64)7月29日 | 43歳 |