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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 また「印・真言無くんば、仏を知るべからず」等云々。今、反詰して云わく、理無くんば仏有るべからず、仏無くんば、印契・真言、一切、徒然と成るべし。
 彼難じて云わく、賢聖ならびに四十八願等をば、印・真言に対すべからず等云々。
 今、反詰して云わく、最上の印・真言これ無くんば、法華経は大日経等よりも劣るか。もししからば、法華経には二乗作仏・久遠実成これ有り。大日経にはこれ無し。印・真言と二乗作仏・久遠実成とを対論せば、天地雲泥なり。諸経に印・真言を簡わざるに、大日経にこれを説いて何の詮か有るべきや。二乗もし灰断の執を改めずんば、印・真言も無用なり。一代の聖教に皆二乗を「永く成仏せず」と簡い、したがって大日経にもこれを隔つ。皆成仏までこそなからめ、三分が二これを捨て、百分が六十余分得道せずんば、仏の大悲何かせん。およそ理の三千これ有って成仏すと云う上には何の不足か有るべき。成仏においては、瘂なる仏、中風の覚者は、これ有るべからず。これをもって案ずるに、印・真言は規模無きか。
 また諸経には始成正覚の旨を談じて、三身相即の無始の古仏を顕さず。本無今有の失有れば、大日如来は有名無実なり。寿量品にこの旨を顕す。釈尊は天の一月、諸の仏菩薩は万水に浮かべる影なりと見えたり。委細の旨はしばらくこれを置く。
 また「印・真言無くんば、祈禱有るべからず」云々。これまた、もっての外の僻見なり。過去・現在の諸仏、法華経を離れて成仏すべからず。法華経をもって正覚を成じ給う。法華経の行者を捨て給わば、諸仏還って凡夫と成りたもうべし。恩を知らざるが故なり。また未来の諸仏の中の二乗も、法