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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 求めて云わく、これらの三蔵大師等はまた何をもってこれを知るや、理は斉等の義なりと。
 答えて云わく、三蔵大師等をば疑うべからず等云々。
 難じて云わく、この義、論義の法にあらざる上、仏の遺言に違背す。たしかに経文を出だすべし。もし経文無くんば、義分無かるべし。いかん。
 答う。威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等なり。文は口伝すべし。
 問うて云わく、法華経に印・真言を略すとは、仏よりか、経家よりか、訳者よりか。
 答えて云わく、あるいは仏と云い、あるいは経家と云い、あるいは訳者と云うなり。
 不審して云わく、仏より真言・印を略して法華経と大日経と理同事勝の義これ有りといわば、このこといずれの経文ぞや。文証の所出を知らず、雅意の浮言ならば、これを用いるべからず。もし経家・訳者よりこれを略すといわば、仏説においては何ぞ理同事勝の釈を作るべきや。法華経と大日経とは全体斉等なり。能く能く子細を尋ぬべきなり。
 私に日蓮云わく、威儀形色経・瑜祇経等の文のごとくんば、仏説においては法華経に印・真言有るか。もししからば、経家・訳者これを略せるか。六波羅蜜経のごときは、経家これを略す。旧訳の仁王経のごときは、訳者これを略せるか。もししからば、天台真言の理同事異の釈は、経家ならびに訳者の時よりの法華経・大日経の勝劣なり。全く仏説の勝劣にあらず。これ天台真言の極みなり。天台宗の義勢、才覚のためにこの義を難ず。天台真言の僻見かくのごとし。東寺の立つるところの義勢は、しばらくこれを置く。僻見、眼前の故なり。