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責むべきなり。「さて」と云うも、「こう」と云うも、有と無との二見をば離れず。「無」と云わば、「無の見なり」とせめよ。「有」と云わば、「有の見なり」とせめよ。いずれもいずれも叶わざることなり。
次に、「『修多羅の教えは月をさす指のごとし』と云うは、『月を見て後は徒者』という義なるか。もしその義にて候わば、御辺の親も徒者という義か。また師匠は弟子のために徒者か。また大地は徒者か。また天は徒者か。いかんとなれば、父母は御辺を出生するまでの用にてこそあれ、御辺を出生して後はなにかせん。人の師は物を習い取るまでこそ用なれ、習い取って後は無用なり。夫れ、天は雨露を下らすまでこそあれ、雨ふりて後は天無用なり。大地は草木を出生せんがためなり。草木を出生して後は大地無用なりと云わん者のごとし。これを世俗の者の譬えに『喉過ぎぬればあつさわすれ、病愈えぬれば医師をわする』と云うらん譬えに少しも違わず相似たり。
詮ずるところ、修多羅というも文字なり。『文字はこれ三世諸仏の気命なり』と天台釈し給えり。天台は震旦の禅宗の祖師の中に入れたり。何ぞ祖師の言を嫌わん。その上、御辺の色心なり。およそ一切衆生の三世不断の色心なり。何ぞ汝、本来の面目を捨てて『文字を立てず』と云うや。これ、昔、移宅しけるに、我が妻を忘れたる者のごとし。真実の禅法をば何としてか知るべき。哀れなる禅の法門かな」と責むべし。
次に、華厳・法相・三論・俱舎・成実・律宗等の六宗の法門、いかに花をさかせても申しやすく返事すべき方は、能く能くいわせて後、南都の帰伏の状をただ読みきかすべきなり。「既に六宗の祖師が帰伏の状をかきて桓武天皇に奏し奉る。よって、彼の帰伏の状を山門に納められぬ。その外、内裏
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(053)諸宗問答抄 | 建長7年(’55) | 34歳 |