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正直に二つあり。一には世間の正直。王と申すは天・人・地の三つを串くを王と名づく。天・人・地の三つは横なり。たつてんは縦なり。王と申すは、黄帝、中央の名なり。天の主・人の主・地の主を王と申す。隠岐法皇は、名は国王、身は妄語の人、横人なり。権大夫殿は、名は臣下、身は大王、不妄語の人、八幡大菩薩の願い給う頂なり。
二には出世の正直と申すは、爾前・七宗等の経論釈は妄語、法華経・天台宗は正直の経釈なり。本地は不妄語の経の釈迦仏、迹には不妄語の八幡大菩薩なり。八葉は八幡、中台は教主釈尊なり。四月八日寅日に生まれ、八十年を経て、二月十五日申日に隠れさせ給う。あに教主の日本国に生まれ給うにあらずや。大隅の正八幡宮の石文に云わく「昔霊鷲山に在って妙法華経を説き、今正宮の中に在って大菩薩と示現す」等云々。法華経に云わく「今この三界」等云々。また「常に霊鷲山に在り」等云々。遠くは三千大千世界の一切衆生は釈迦如来の子なり。近くは日本国四十九億九万四千八百二十八人は八幡大菩薩の子なり。今、日本国の一切衆生は、八幡を恃み奉るようにもてなし釈迦仏をすて奉るは、影をうやまって体をあなずる、子に向かって親をのるがごとし。本地は釈迦如来にして、月氏国に出でては正直捨方便の法華経を説き給い、垂迹は日本国に生まれては正直の頂にすみ給う。
諸の権化の人々、本地は法華経の一実相なれども、垂迹の門は無量なり。いわゆる、髪俱羅尊者は三世に不殺生戒を示し、鴦崛摩羅は生々に殺生を示す。舎利弗は外道となり、かくのごとく門々不同なることは、本凡夫にてありし時の初発得道の始めを、成仏の後化他門に出で給う時、我が得道の門を示すなり。妙楽大師云わく「もし本に従って説かば、またこれ昔殺等の悪の中において能く出離
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(050)諫暁八幡抄 | 弘安3年(’80)12月 | 59歳 |