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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 例せば、大荘厳仏の末の四比丘が六百万億那由他の人を皆無間地獄に堕とせると、師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘・比丘尼・うばそく・うばいを皆阿鼻大城に導きしと、今の三大師の教化に随って、日本記に行基数えて云わく、男女四十五億八万九千六百五十九人云々、あるいは云わく日本国四十九億九万四千八百二十八人の一切衆生、また四十九億等、また四十九億等の人々、四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば、その後また他方世界よりは生まれて、また死して無間地獄に堕ちぬ。かくのごとく、堕つる者は大地微塵よりも多し。これ皆、三大師の科ぞかし。日蓮これらを大いに見ながら、いつわりおろかにしてこれを申さずば、ともに堕地獄の者となって、一分の科なき身が十方の大阿鼻地獄を経めぐるべし。いかでか身命をすててよばわらざるべき。
 涅槃経に云わく「一切衆生の異の苦を受くるは、ことごとくこれ如来一人の苦なり」等云々。日蓮云わく、一切衆生の同一苦は、ことごとくこれ日蓮一人の苦なりと申すべし。
 平城天皇の御宇に、八幡の御託宣に云わく「我はこれ日本の鎮守・八幡大菩薩なり。百皇を守護せん誓願あり」等云々。今云わく、人王八十一・二代隠岐法皇・三・四・五の諸皇すでに破られ畢わんぬ。残りの二十余代、今捨てられ畢わんぬ。すでにこの願破るるがごとし。
 日蓮、料簡して云わく、百王を守護せんというは、正直の王百人を守護せんと誓いたもうか。八幡の御誓願に云わく「正直の人の頂をもって栖となし、諂曲の人の心をもって享けず」等云々。夫れ、月は清水に影をやどす、濁水にすむことなし。王と申すは不妄語の人。右大将家・権大夫殿は不妄語の人、正直の頂、八幡大菩薩の栖、百皇の内なり。