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向かって大悪口・大瞋恚を生じて大願を成就し、賢子をもうけ給いぬ。当に知るべし、瞋恚は善悪に通ずるものなり。
今、日蓮は、去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで、二十八年が間、また他事なし。ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむばかりなり。これ即ち、母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。これまた時の当たらざるにあらず。すでに仏記の五の五百歳に当たれり。天台・伝教の御時は、時いまだ来らざりしかども、一分の機ある故に少分流布せり。いかにいわんや、今はすでに時いたりぬ。たとい機なくして水火をなすとも、いかでか弘通せざらん。
ただ不軽のごとく大難には値うとも、流布せんこと疑いなかるべきに、真言・禅・念仏者等の讒奏によって無智の国主留難をなす。これを対治すべき氏神・八幡大菩薩、彼らの大科を治せざるゆえに、日蓮、氏の神を諫暁するは、道理に背くべしや。尼俱律陀長者が樹神をいさむるに異ならず。蘇悉地経に云わく「本尊を治罰すること、鬼魅を治するがごとし」等云々。文の心は、経文のごとく所願を成ぜんがために数年が間法を修行するに、成就せざれば、本尊をあるいはしばり、あるいは打ちなんどせよととかれて候。相応和尚の不動明王をしばりけるは、この経文を見たりけるか。
これは他事にはにるべからず。日本国の一切の善人は、あるいは戒を持ち、あるいは布施を行じ、あるいは父母等の孝養のために寺塔を建立し、あるいは成仏得道のために妻子をやしなうべき財を止めて諸僧に供養をなし候に、諸僧謗法の者たるゆえに、謀反の者を知らずしてやどしたるがごとく、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(050)諫暁八幡抄 | 弘安3年(’80)12月 | 59歳 |