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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

いぬ。これをもっておもうべし。
 道鏡法師、称徳天皇の心よせと成って国王と成らんとせし時、清丸、八幡大菩薩に祈請せし時、八幡の御託宣に云わく「夫れ、神に大小・好し悪し有り乃至彼は衆く、我は寡なし。邪は強く、正は弱し。乃ち、当に仏力の加護を仰いで、ために皇緒を紹隆すべし」等云々。当に知るべし、八幡大菩薩は正法を力として王法をも守護し給いけるなり。叡山・東寺等の真言の邪法をもって権大夫殿を調伏せしほどに、権大夫殿はかたせ給い、隠岐法皇まけさせ給いぬ。「還って本人に著きなん」これなり。
 今また、日本国一万一千三十七の寺、ならびに三千一百三十二社の神は、国家安穏のためにあがめられて候。しかるに、その寺々の別当等、その社々の神主等は、みなみなあがむるところの本尊と神との御心に相違せり。彼々の仏と神とは、その身異体なれども、その心同心に法華経の守護神なり。別当と社主等は、あるいは真言師、あるいは念仏者、あるいは禅僧、あるいは律僧なり。皆一同に八幡等の御かたきなり。謗法不孝の者を守護し給いて、正法の者をあるいは流罪、あるいは死罪等に行わするゆえに、天のせめを被り給いぬるなり。
 我が弟子等の内、謗法の余慶有る者の思っていわく「この御房は八幡をかたきとす」と云々。これ、いまだ、道理有って法の成就せぬには本尊をせむるということを存知せざる者の思いなり。付法蔵経と申す経に大迦葉尊者の因縁を説いて云わく「時に摩竭国に婆羅門有り、尼俱律陀と名づく。過去の世において久しく勝業を修す○多く財宝饒かにして巨富無量なり○摩竭王に比するに千倍勝れたりとなす○財宝饒かなりといえども、子息有ることなし。自ら念わく『老朽して死の時将に至らんとす。