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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

とおぼしきは、ただどしうちばかりなり。日本国の賢王たりし上、第一第二の御神なれば、八幡に勝れたる神はよもおわせじ、また偏頗はよも有らじとはおもえども、一切経ならびに法華経のおきてのごときんば、この神は大科の神なり。
 日本六十六箇国・二つの島、一万一千三十七の寺々の仏は、皆、あるいは画像、あるいは木像、あるいは真言已前の寺もあり、あるいは已後の寺もあり。これらの仏は皆、法華経より出生せり。法華経をもって眼とすべし。いわゆる「この方等経は、これ諸仏の眼なり」等云々。妙楽云わく「しかもこの経は常住仏性をもって咽喉となし、一乗妙行をもって眼目となし、再生敗種をもって心腑となし、顕本遠寿をもってその命となす」等云々。しかるを、日本国の習い、真言師にもかぎらず諸宗一同に仏眼の印をもって開眼し、大日の真言をもって五智を具足すと云々。これらは、法華経にして仏になれる衆生を真言の権経にて供養すれば、還って、仏を死し、眼をくじり、寿命を断ち、喉をさきなんどする人々なり。提婆が教主釈尊の身より血を出だし、阿闍世王の彼の人を師として現罰に値いしに、いかでかおとり候べき。八幡大菩薩は応神天皇、小国の王なり。阿闍世王は摩竭大国の大主なり。天と人と、王と民との勝劣なり。しかれども、阿闍世王なお釈迦仏に敵をなして悪瘡身に付き給いぬ。八幡大菩薩いかでかその科を脱るべき。
 去ぬる文永十一年に、大蒙古よりよせて日本国の兵を多くほろぼすのみならず、八幡の宮殿すでにやかれぬ。その時、何ぞ彼の国の兵を罰し給わざるや。まさに知るべし、彼の国の大王はこの国の神に勝れたることあきらけし。襄王と申せし神は、漢土の第一の神なれども、沛公が利剣に切られ給