SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

教大師は仏の御使いとして法華経を説き給うべきゆえに、八幡大菩薩を使いとして衣を送り給うか。
 またこの大菩薩は、伝教大師已前には加水の法華経を服しておわしましけれども、先生の善根によって大王と生まれ給いぬ。その善根の余慶、神と顕れてこの国を守護し給いけるほどに、今は先生の福の余慶も尽きぬ。正法の味も失せぬ。謗法の者等国中に充満して年久しけれども、日本国の衆生に久しく仰がれ給いてなじみをし、大科はあれども捨てがたくおぼしめし、老人の不孝の子を捨てざるがごとくして、天のせめに合い給いぬるか。
 また、この袈裟は法華経最第一と説かん人こそかけまいらせ給うべきに、伝教大師の後は、第一の座主・義真和尚、法華最第一の人なれば、かけさせ給うことその謂れあり。第二の座主・円澄大師は、伝教大師の御弟子なれども、また弘法大師の弟子なり。すこし謗法ににたり。この袈裟の人にはあらず、かけがたし。第三の座主・円仁慈覚大師は、名は伝教大師の御弟子なれども、心は弘法大師の弟子、大日経第一・法華経第二の人なり。この袈裟は一向にかけがたし。たといかけたりとも、法華経の行者にはあらず。その上また、当世の天台座主は一向真言座主なり。また当世の八幡の別当は、あるいは園城寺の長吏、あるいは東寺の末流なり。これらは、遠くは釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵、近くは伝教大師の讐敵なり。譬えば、提婆達多が大覚世尊の御袈裟をかけたるがごとし。また猟師が仏衣を被て師子のかわをはぎしがごとし。当世の叡山の座主は、伝教大師の八幡大菩薩より給わって候いし御袈裟をかけて、法華経の所領を奪い取って真言の領となせり。譬えば、阿闍世王の提婆達多を師とせしがごとし。しかるを、大菩薩のこの袈裟をはぎかえし給わざる、一の大科なり。