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をもって人を狂わし、法華経をすてしむれば、背上向下のとがあり。あるいは禅宗を立てて教外と称し、仏教をば真の法にあらずと蔑如して増上慢を起こし、あるいは法相・三論・華厳宗を立てて法華経を下し、あるいは真言宗・大日宗と称して、「法華経は釈迦如来の顕教にして真言宗に及ばず」等云々。
しかるに、自然に法門に迷う者もあり、あるいは師々によって迷う者もあり、あるいは元祖・論師・人師の迷法を年久しく真実の法ぞと伝え来る者もあり、あるいは悪鬼・天魔の身に入りかわりて悪法を弘めて正法とおもう者あり、あるいはわずかの小乗一途の小法をしりて大法を行ずる人はしからずと我慢して、我が小法を行ぜんがために大法・秘法の山寺をおさえとる者もあり、あるいは慈悲魔と申す魔身に入って、三衣一鉢を身に帯し、小乗の一法を行ずるやから、わずかの小法を持って、国中の棟梁たる比叡山、竜象のごとくなる智者どもを、一分我が教えにたがえるを見て、邪見の者、悪人なんどうち思えり。
この悪見をもって、国主をたぼらかし誑惑して、正法の御帰依をうすうなし、かえって破国・破仏の因縁となせるなり。かの妲己・褒姒なんど申せし后は、心もおだやかに、みめかたち人にすぐれたりき。愚王、これを愛して国をほろぼす縁となる。当世の禅師・律師・念仏者なんど申す聖一・道隆・良観・道阿弥・然阿弥なんど申す法師どもは、鳩鴿が糞を食するがごとく、西施が呉王をたぼろかししににたり。あるいは我が小乗臭糞の驢乳の戒を持って。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(040)小乗大乗分別抄 | 文永10年(’73)* | (富木常忍) |