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せるがごとし。また華厳経・方等・般若・大日経等の円教の菩薩等は、王女の臣下を夫とせるがごとし。皆、浄土に生まるべき法にはあらず。
また華厳・阿含・方等・般若等の経々の間に六道を出ずる人あり。これは彼々の経々の力にはあらず。過去に法華経の種を殖えたりし人、現在に法華経を待たずして機すすむ故に、爾前の経々を縁として、過去の法華経の種を発得して成仏・往生をとぐるなり。例せば、縁覚の無仏の世にして飛花落葉を観じて独覚の菩提を証し、孝養父母の者の梵天に生まるるがごとし。飛花落葉・孝養父母等は独覚と梵天との修因にはあらねども、かれを縁として過去の修因を引きおこし、彼の天に生じ、独覚の菩提を証す。
しかるに、なお過去に小乗の三賢・四善根にも入らず、有漏の禅定をも修せざる者は、月を観じ花を詠じ孝養父母の善を修すれども、独覚ともならず、色天にも生ぜず。過去に法華経の種を殖えざる人は、華厳経の席に侍りしかども、初地・初住にものぼらず、鹿苑説教の砌にても見思をも断ぜず、観経等にても九品の往生をもとげず。ただ大小の賢位のみに入って聖位にはのぼらずして、法華経に来って始めて仏種を心田に下ろして、一生に初地・初住等に登る者もあり。また涅槃の座へさがり、乃至滅後・未来までゆく人もあり。過去に法華経の種を殖えたる人々は、結縁の厚薄に随って、華厳経を縁として初地・初住に登る人もあり。阿含経を縁として見思を断じて二乗となる者あり。観経等の九品の行業を縁として往生する者もあり。方等・般若もここをもって知んぬべし。これらは彼々の経々の力にはあらず。ひとえに法華経の力なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(040)小乗大乗分別抄 | 文永10年(’73)* | (富木常忍) |