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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

けなば人にあらじ。一切衆生のみならず、十界の依正の二法、非情の草木、一微塵にいたるまで、皆十界を具足せり。二乗界仏にならずば、余界の中の二乗界も仏になるべからず。また余界の中の二乗界仏にならずば、余界の八界仏になるべからず。
 譬えば、父母ともに持ちたる者、兄弟九人あらんか。二人は凡下の者と定められば、余の七人も必ず凡下の者となるべし。仏と経とは父母のごとし。九界の衆生は実子なり。声聞・縁覚の二人、永不成仏の者となるならば、菩薩・六凡の七人あに得道をゆるさるべきや。「今この三界は、皆これ我が有なり。その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり乃至ただ我一人のみ、能く救護をなす」の文をもって知るべし。
 また、菩薩と申すは、必ず四弘誓願をおこす。第一の衆生無辺誓願度の願成就せずば、第四の無上菩提誓願証の願は成ずべからず。前四味の諸経にては、「菩薩・凡夫は仏になるべし、二乗は永く仏になるべからず」等云々。しかるを、かしこげなる菩薩も、はかなげなる六凡も、共に思えり。「我ら仏になるべし。二乗は仏にならざれば、かしこくして彼の道には入らざりける」と思う。二乗はなげきをいだき、「この道には入るまじかりしものを」と恐れかなしみしが、今、法華経にして二乗を仏になし給える時、二乗仏になるのみならず、かの九界の成仏をもときあらわし給えり。諸の菩薩、この法門を聞いて思わく「我らが思いははかなかりけり。爾前の経々にして二乗仏にならずば、我らもなるまじかりける者なり。二乗を永不成仏と説き給うは、二乗一人ばかりなげくべきにあらざりけり。我らも同じなげきにてありけり」と心うるなり。