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これ譬えの名なり。三根合論し、法譬を双べ標す。かくのごとく解せば、誰とために諍わんや」云々。
この釈の意は、至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果俱時不思議の一法これ有り。これを名づけて妙法蓮華となす。この妙法蓮華の一法に、十界三千の諸法を具足して闕減無し。これを修行する者は、仏因仏果、同時にこれを得るなり。聖人この法を師となして修行・覚道したまえば、妙因妙果俱時に感得し給うが故に、妙覚果満の如来と成り給いしなり。
故に、伝教大師云わく「一心の妙法蓮華とは、因華・果台俱時に増長する当体蓮華なり。三周に各々当体・譬喩有り。総じて一経に皆当体・譬喩あり。別して七譬・三平等・十無上の法門有って、皆当体蓮華有るなり。この理を詮ずる教えを、名づけて妙法蓮華経となす」云々。妙楽大師云わく「すべからく七譬をもって各蓮華の権実の義に対すべし○何となれば、蓮華はただこれ実のために権を施し、権を開して実を顕すのみ。七譬皆しかなり」文。
また劫初に華草有り。聖人理を見て号して蓮華と名づく。この華草、因果俱時なること妙法蓮華に似たり。故に、この華草を同じく蓮華と名づくるなり。水中に生ずる赤蓮華・白蓮華等の蓮華これなり。譬喩の蓮華とは、この華草の蓮華なり。この華草をもって難解の妙法蓮華を顕す。天台大師の「妙法は解し難し。譬えを仮れば顕し易し」と釈するは、この意なり。
問う。劫初より已来、何人か当体の蓮華を証得せしや。
答う。釈尊、五百塵点劫の当初この妙法の当体蓮華を証得して、世々番々に成道を唱え、能証・所証の本理を顕し給えり。今日また、中天竺摩訶陀国に出世して、この蓮華を顕さんと欲すに、機無く
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(038)当体義抄 | 文永10年(’73) | 52歳 | 最蓮房 |