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幸いなるかな、一生の内に無始の謗法を消滅せんことを。悦ばしいかな、いまだ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ。
願わくは、我を損ずる国主等をば、最初にこれを導かん。我を扶くる弟子等をば、釈尊にこれを申さん。我を生める父母等には、いまだ死せざる已前にこの大善を進らせん。
ただし、今、夢のごとく宝塔品の心を得たり。この経に云わく「もし須弥を接って、他方の無数の仏土に擲げ置かんも、またいまだ難しとなさず乃至もし仏滅して後、悪世の中において、能くこの経を説かば、これは則ち難しとなす」等云々。伝教大師云わく「浅きは易く深きは難しとは、釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは、丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云々。安州の日蓮は、恐らくは、三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加えて三国四師と号づく。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
文永十年太歳癸酉後五月十一日 桑門日蓮これを記す。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(037)顕仏未来記 | 文永10年(’73)閏5月11日 | 52歳 |