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例せば、威音王仏の像法の時、不軽菩薩「我深敬(我は深く敬う)」等の二十四字をもって彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしがごとし。
彼の二十四字とこの五字とは、その語殊なりといえども、その意これ同じ。彼の像法の末とこの末法の初めとは、全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。
疑って云わく、何をもってかこれを知る、汝を末法の初めの法華経の行者となすことを。
答えて云わく、法華経に云わく「いわんや滅度して後をや」。また云わく「諸の無智の人の、悪口・罵詈等し、および刀杖を加うる者有らん」。また云わく「しばしば擯出せられん」。また云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」。また云わく「杖木・瓦石をもって、これを打擲す」。また云わく「悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等、その便りを得ん」等云々。
この明鏡に付いて、仏語を信ぜしめんがために日本国中の王臣・四衆の面目に引き向かえたるに、予よりの外には一人もこれ無し。時を論ずれば、末法の初め一定なり。しかるあいだ、もし日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん。
難じて云わく、汝は大慢の法師にして、大天に過ぎ、四禅比丘にも超えたり、いかん。
答えて云わく、汝日蓮を蔑如するの重罪、また提婆達多に過ぎ、無垢論師にも超えたり。我が言は大慢に似たれども、仏記を扶け如来の実語を顕さんがためなり。しかりといえども、日本国中に日蓮を除き去っては誰人を取り出だして法華経の行者となさん。汝、日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にす。あに大悪人にあらずや。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(037)顕仏未来記 | 文永10年(’73)閏5月11日 | 52歳 |