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答えて云わく、仏意測り難し。予いまだこれを得ず。試みに一義を案じ、小乗経をもってこれを勘うるに、正法千年は教・行・証の三つ、つぶさにこれを備う。像法千年には教・行のみ有って証無し。末法には教のみ有って行・証無し等云々。
法華経をもってこれを探るに、正法千年に三事を具するは、在世において法華経に結縁する者、その後、正法に生まれて小乗の教・行をもって縁となし、小乗の証を得るなり。像法においては、在世の結縁微薄の故に小乗において証することなく、この人、権大乗をもって縁となして十方の浄土に生ず。末法においては、大小の益共にこれ無し。小乗には、教のみ有って行・証無し。大乗には、教・行のみ有って冥・顕の証これ無し。
その上、正像の時に立つるところの権・小の二宗、漸々に末法に入って執心いよいよ強盛にして、小をもって大を打ち、権をもって実を破り、国土に大体謗法の者充満するなり。
仏教によって悪道に堕つる者は大地微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少なきなり。
この時に当たって、諸天善神その国を捨離し、ただ邪天・邪鬼等のみ有って王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し、法華経の行者を罵詈・毀辱せしむべき時なり。
しかりといえども、仏の滅後において、四味三教等の邪執を捨てて実大乗の法華経に帰せば、諸天善神ならびに地涌千界等の菩薩、法華の行者を守護せん。この人は、守護の力を得て、本門の本尊・妙法蓮華経の五字をもって閻浮提に広宣流布せしめんか。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(037)顕仏未来記 | 文永10年(’73)閏5月11日 | 52歳 |