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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

「綱維を提くに目として動かざること無く、衣の一角を牽くに縷として来らざること無きがごとし」。意は、この妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来らざることなく、善根として動かざることなし。譬えば、網の目無量なれども一つの大綱を引くに動かざる目もなく、衣の糸筋巨多なれども一角を取るに糸筋として来らざることなきがごとしという義なり。さて、文句には「かくのごときを我聞きき」より「礼を作して去りにき」まで、文々句々に因縁・約教・本迹・観心の四種の釈を設けたり。次に止観には、妙解の上に立つるところの観不思議境の一念三千、これ本覚の立行、本具の理心なり。今ここに委しくせず。
 悦ばしいかな、生を五濁悪世に受くといえども、一乗の真文を見聞することを得たり。熙連恒沙の善根を致せる者、この経にあい奉って信を取ると見えたり。汝、今、一念随喜の信を致す。函蓋相応、感応道交疑いなし。
 愚人頭を低れ、手を挙げて云わく、我、今よりは一実の経王を受持し三界の独尊を本師として、今身より仏身に至るまで、この信心あえて退転無けん。たとい五逆の雲厚くとも、乞う、提婆達多が成仏を続ぎ、十悪の波あらくとも、願わくは、王子覆講の結縁に同じからん。
 聖人云わく、人の心は水の器にしたがうがごとく、物の性は月の波に動くに似たり。故に、汝、当座は信ずというとも、後日は必ず翻さん。魔来り鬼来るとも、騒乱することなかれ。夫れ、天魔は仏法をにくむ、外道は内道をきらう。されば、猪の金山を摺り、衆流の海に入り、薪の火を盛んになし、風の求羅をますがごとくせば、あに好きことにあらずや。