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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

後世を恐れば、身を軽しめ、法を重んぜよ。ここをもって、章安大師云わく「『むしろ身命を喪うとも、教えを匿さず』とは、身は軽く法は重し。身を死して法を弘む」。この文の意は、身命をばほろぼすとも正法をかくさざれ、その故は、身はかろく法はおもし、身をばころすとも法をば弘めよとなり。
 悲しいかな、生者必滅の習いなれば、たとい長寿を得たりとも、終には無常をのがるべからず。今世は、百年の内外の程を思えば、夢の中の夢なり。非想の八万歳、いまだ無常を免れず。忉利の一千年も、なお退没の風に破らる。いわんや、人間・閻浮の習いは、露よりもあやうく、芭蕉よりももろく、泡沫よりもあだなり。水中に宿る月のあるかなきかのごとく、草葉におく露のおくれさきだつ身なり。もしこの道理を得ば、後世を一大事とせよ。
 歓喜仏の末の世の覚徳比丘、正法を弘めしに、無量の破戒、この行者を怨んで責めしかば、有徳国王、正法を守る故に謗法を責めて、終に命終して阿閦仏の国に生まれて、彼の仏の第一の弟子となる。大乗を重んじて五百人の婆羅門の謗法を誡めし仙予国王は、不退の位に登る。憑もしいかな、正法の僧を重んじて邪悪の侶を誡むる人、かくのごとくの徳あり。されば、今の世に摂受を行ぜん人は、謗人とともに悪道に堕ちんこと疑いなし。南岳大師の四安楽行に云わく「もし菩薩有って、悪人を将護して治罰すること能わず乃至その人は命終して、諸の悪人とともに地獄に堕ちん」。この文の意は、もし仏法を行ずる人有って、謗法の悪人を治罰せずして観念・思惟を専らにして、邪正・権実をも簡ばず、詐って慈悲の姿を現ぜん人は、諸の悪人とともに悪道に堕つべしという文なり。今、真言・念仏・禅・律の謗人をたださず、いつわって慈悲を現ずる人、この文のごとくなるべし。