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鴿をとるべきか。摩尼・金剛は金石の霊異なり。この宝は乏しく、瓦礫・土石は徒物の至り、これはまた巨多なり。汝が言のごとくならば、玉なんどをば捨てて瓦礫を用ゆべきか。はかなし、はかなし。聖君は希にして千年に一たび出で、賢佐は五百年に一たび顕る。摩尼は空しく名のみ聞く。麟鳳誰か実を見たるや。世間・出世、善き者は乏しく、悪しき者は多きこと眼前なり。しかれば、何ぞあながちに少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども、米穀は希なり。木皮は充満すれども、布絹は些少なり。汝ただ正理をもって前とすべし。別して人の多きをもって本とすることなかれ。
ここに、愚人、席をさり袂をかいつくろいて云わく、誠に聖教の理をきくに、人身は得難く、天上の糸筋の海底の針に貫けるよりも希に、仏法は聞き難くして、一眼の亀の浮き木に遇うよりも難し。今既に、得難き人界に生をうけ、値い難き仏教を見聞しつ。今生をもだしては、またいずれの世にか生死を離れ菩提を証すべき。夫れ、一劫受生の骨は山よりも高けれども、仏法のためにはいまだ一骨をもすてず。多生恩愛の涙は海よりも深けれども、なお後世のためには一滴をも落とさず。拙きが中に拙く、愚かなるが中に愚かなり。たとい命をすて身をやぶるとも、生を軽くして仏道に入り、父母の菩提を資け、愚身が獄縛をも免るべし。能く能く教えを示し給え。
そもそも、法華経を信ずるその行相いかん。五種の行の中には、まずいずれの行をか修すべき。丁寧に尊教を聞かんことを願う。
聖人示して云わく、汝、蘭室の友に交わって麻畝の性と成る。誠に禿樹、禿にあらず、春に遇って
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(034)聖愚問答抄 | 文永5年(’68) | 47歳 |