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教主釈尊は天竺にして孝養・報恩の理を説き、孔子は大唐にして忠功・孝高の道を示す。師の恩を報ずる人は、肉をさき身をなぐ。主の恩をしる人は、弘演は腹をさき、予譲は剣をのむ。親の恩を思いし人は、丁蘭は木をきざみ、伯瑜は杖になく。儒・外・内、道は異なりといえども、報恩謝徳の教えは替わることなし。しかれば、主・師・親のいまだ信ぜざる法理を我始めて信ぜんこと、既に違背の過に沈みなん。法門の道理は、経文明白なれば、疑網すべて尽きぬ。後生を願わずば、来世苦に沈むべし。進退これ谷まれり。我いかんがせんや。
聖人云わく、汝この理を知りながら、なおこの語をなす。理の通ぜざるか、意の及ばざるか。我、釈尊の遺法をまなび仏法に肩を入れしより已来、知恩をもって最とし、報恩をもって前とす。世に四恩あり。これを知るを人倫となづけ、知らざるを畜生とす。予、父母の後世を助け国家の恩徳を報ぜんと思うが故に身命を捨つること、あえて他事にあらず、ただ知恩を旨とするばかりなり。
まず、汝、目をふさぎ心を静めて道理を思え。我は善道を知りながら、親と主との悪道にかからんを諫めざらんや。また愚人狂い酔って毒を服せんを我知りながら、これをいましめざらんや。そのごとく法門の道理を存じて火血刀の苦を知りながら、いかでか恩を蒙る人の悪道におちんことを歎かざらんや。身をもなげ、命をも捨つべし。諫めてもあきたらず、歎きても限りなし。今生に眼を合わする苦しみ、なおこれを悲しむ。いわんや、悠々たる冥途の悲しみ、あに痛まざらんや。恐れても恐るべきは後世、慎んでも慎むべきは来世なり。しかるを、是非を論ぜず親の命に随い、邪正を簡ばず主の仰せに順わんと云うこと、愚癡の前には忠・孝に似たれども、賢人の意には不忠・不孝これに過ぐ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(034)聖愚問答抄 | 文永5年(’68) | 47歳 |