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の禅師を私に作り入れて、「天竺より来れる付法蔵、系乱れず」と云って、人に重んぜさせんための僻事なり。このこと異朝にして事旧りぬ。補註の十一に云わく「今家は二十三祖を承用す。あに誤り有らんや。もし二十八祖を立つるは、いまだ出だすところの翻訳を見ざるなり。近来さらに石に刻み、版に鏤め、七仏・二十八祖を図状し、各一偈をもって伝授相付すること有り。ああ、仮託何ぞそれ甚だしきや。識者力有らば、よろしくこの弊を革むべし」。これも、二十八祖を立て、石にきざみ、版にちりばめて伝うること、はなはだもって誤れり、このことを知る人あらば、この誤りをあらためなおせとなり。
祖師禅、はなはだ僻事なること、ここにあり。先に引くところの大梵天王問仏決疑経の文を、教外別伝の証拠に汝これを引く。既に自語相違せり。その上、この経は説相権教なり。また開元・貞元の再度の目録にも全く載せず。これ録外の経なる上、権教と見えたり。しかれば、世間の学者用いざるところなり。証拠とするにたらず。
そもそも、今の法華経を説かるる時益をうる輩、迹門界如三千の時、敗種の二乗、仏種を萌す。四十二年の間は「永く成仏せず」と嫌われて、在々処々の集会にして罵詈・誹謗の音をのみ聞き、人天大会に思いうとまれて既に飢え死ぬべかりし人々も、今の経に来って、舎利弗は華光如来、目連は多摩羅跋栴檀香如来、阿難は山海慧自在通王仏、羅睺羅は蹈七宝華如来、五百の羅漢は普明如来、二千の声聞は宝相如来の記別に予かる。顕本遠寿の日は、微塵数の菩薩、道を増し生を損じて、位大覚に隣る。されば、天台大師の釈を披見するに、他経には、菩薩は仏になると云って二乗の得道は永くこ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(034)聖愚問答抄 | 文永5年(’68) | 47歳 |