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り。されば、もしこの経に勝りたりと云う経有らば、外道・天魔の説と知るべきなり。
その上、大日如来というは、久遠実成の教主釈尊、四十二年和光同塵してその機に応ずる時、三身即一の如来しばらく毘盧遮那と示せり。この故に、開顕実相の前には、釈迦の応化と見えたり。ここをもって普賢経には「釈迦牟尼仏は、毘盧遮那遍一切処と名づけたてまつる。その仏の住処は、常寂光と名づく」と説けり。今、法華経は、十界互具・一念三千・三諦即是・四土不二と談ず。その上に一代聖教の骨髄たる二乗作仏・久遠実成は今経に限れり。汝語るところの大日経・金剛頂経等の三部の秘経にこれらの大事ありや。善無畏・不空等、これらの大事の法門を盗み取って、己が経の眼目とせり。本経・本論には迹形もなき誑惑なり。急ぎ急ぎこれを改むべし。
そもそも大日経とは、四教含蔵して尽形寿戒等を明かせり。唐土の人師は天台所立の第三時・方等部の経なりと定めたる権教なり。あさまし、あさまし。汝、実に道心あらば、急いで先非を悔ゆべし。夫れ以んみれば、この妙法蓮華経は一代の観門を一念にすべ、十界の依正を三千につづめたり。
聖愚問答抄下
ここに愚人いささか和らいで云わく、経文は明鏡なり、疑慮をいたすに及ばず。ただし、法華経は三説に秀で一代に超ゆるといえども、言説に拘らず経文に留まらざる我らが心の本分の禅の一法には
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(034)聖愚問答抄 | 文永5年(’68) | 47歳 |