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り」。この文の意は、また釈尊無量の国土にして、あるいは名字を替え、あるいは年紀を不同になし、種々の形を現して説くところの諸経の中には、この法華経を第一と定められたり。同じき第五の巻には「最もその上に在り」と宣べて、大日経・金剛頂経等の無量の経の頂にこの経は有るべしと説かれたるを、弘法大師は「最もその下に在り」と謂えり。
釈尊と弘法と、法華経と宝鑰とは、実にもって相違せり。釈尊を捨て奉って弘法に付くべきか、また弘法を捨てて釈尊に付き奉るべきか。また経文に背いて人師の言に随うべきか、人師の言を捨てて金言を仰ぐべきか、用捨心に有るべし。
また第七の巻の薬王品に十喩を挙げて教えを歎ずるに、第一は水の譬えなり。江河を諸経に譬え、大海を法華に譬えたり。しかるを、「大日経は勝れたり、法華は劣れり」と云う人は、即ち「大海は小河よりもすくなし」と云わん人なり。しかるに、今の世の人は、海の諸河に勝ることをば知るといえども、法華経の第一なることをば弁えず。第二は山の譬えなり。衆山を諸経に譬え、須弥山を法華に譬えたり。須弥山は上下十六万八千由旬の山なり。いずれの山か肩を並ぶべき。法華経を「大日経に劣る」と云う人は、「富士山は須弥山より大なり」と云わん人なり。第三は星月の譬えなり。諸経を星に譬え、法華経を月に譬う。月と星とはいずれ勝りたりと思えるや。乃至、次下には、「この経もまたかくのごとく、一切の如来の所説、もしは菩薩の所説、もしは声聞の所説、諸の経法の中に、最もこれ第一なり」とて、この法華経はただ釈尊一代の第一と説き給うのみにあらず、大日および薬師・阿弥陀等の諸仏、普賢・文殊等の菩薩の一切の説くところの諸経の中に、この法華経第一と説け
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(034)聖愚問答抄 | 文永5年(’68) | 47歳 |