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れ、これを持たざる念仏者は、今生には悪瘡身に出で、後生には無間に堕つべしと云々。しかるに、念仏申す男・女・尼・法師、この誡めをかえりみず、ほしいままに酒をのみ、魚鳥を食らうこと、剣を飲む譬えにあらずや。
ここに愚人云わく、誠にこれこの法門を聞くに、念仏の法門実に往生すといえども、その行儀、修行し難し。いわんや、彼の憑むところの経論は、皆もって権説なり。往生すべからざるの条、分明なり。ただし、真言を破することは、その謂れ無し。夫れ、大日経とは大日覚王の秘法なり。大日如来より系も乱れず善無畏・不空これを伝え、弘法大師は日本に両界の曼陀羅を弘め、尊高三十七尊、秘奥なるものなり。しかるに、顕教の極理は、なお密教の初門にも及ばず。ここをもって、後唐院は「法華すらなお及ばず。いわんや自余の教えをや」と釈し給えり。このこと、いかんが心うべきや。
聖人示して云わく、予も始めは大日に憑みを懸けて密宗に志を寄す。しかれども、彼の宗の最底を見るに、その立義もまた謗法なり。汝が云うところの高野の大師は、嵯峨天皇の御宇の人師なり。しかるに、皇帝より仏法の浅深を判釈すべき由の宣旨を給わって、十住心論十巻これを造る。この書広博なるあいだ、要を取って三巻にこれを縮め、その名を秘蔵宝鑰と号す。始め異生羝羊心より終わり秘密荘厳心に至るまで十に分別し、第八法華・第九華厳・第十真言と立てて、「法華は華厳にも劣れば、大日経には三重の劣」と判じて、「かくのごとき乗々は、自乗に仏の名を得れども、後に望めば戯論と作る」と書いて、法華経を「狂言・綺語」と云い、釈尊をば「無明に迷える仏」と下せり。よって、伝法院を建立せし弘法の弟子・正覚房は「法華経は大日経のはきものとりに及ばず、釈迦仏は
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(034)聖愚問答抄 | 文永5年(’68) | 47歳 |