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て、後八箇年に至って出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給えり。
しかれば、仏の御年七十二歳にして、序分の無量義経に説き定めて云わく「我は先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼をもって一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以はいかん。諸の衆生の性欲の不同なることを知ればなり。性欲は不同なれば、種々に法を説きき。種々に法を説くことは、方便力をもってす。四十余年にはいまだ真実を顕さず」文。この文の意は、仏の御年三十にして寂滅道場菩提樹の下に坐して、仏眼をもって一切衆生の心根を御覧ずるに、衆生成仏の直道たる法華経をば説くべからず。ここをもって、空拳を挙げて嬰児をすかすがごとく、様々のたばかりをもって、四十余年が間はいまだ真実を顕さずと年紀をさして、青天に日輪の出で暗夜に満月のかかるがごとく説き定めさせ給えり。
この文を見て、何ぞ、同じ信心をもって、仏の虚事と説かるる法華已前の権教に執著して、めずらしからぬ三界の故宅に帰るべきや。されば、法華経の一の巻の方便品に云わく「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説くのみ」文。この文の意は、前四十二年の経々、汝が語るところの念仏・真言・禅・律を正直に捨てよとなり。この文明白なる上、重ねていましめて、第二の巻の譬喩品に云わく「ただ楽って大乗経典を受持するのみにして、乃至、余経の一偈をも受けざれ」文。この文の意は、年紀かれこれ煩わし、詮ずるところ、法華経より自余の経をば一偈をも受くべからずとなり。しかるに、八宗の異義蘭菊に、道俗形を異にすれども、一同に法華経をば崇むる由を云う。されば、これらの文をばいかが弁えたる。正直に捨てよと云って余経の一偈をも禁むるに、あるいは念仏、あるいは
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(034)聖愚問答抄 | 文永5年(’68) | 47歳 |