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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

願の中に「五逆・十悪をも簡ばず」と云える五逆とは何らぞや、十悪とはいかん。
 智人の云わく、五逆とは、父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身より血を出だし、和合僧を破す、これを五逆と云うなり。十悪とは、身に三つ、口に四つ、意に三つなり。身に三つとは殺・盗・婬、口に四つとは妄語・綺語・悪口・両舌、意に三つとは貪・瞋・癡、これを十悪と云うなり。
 愚人云わく、我、今解しぬ。今日よりは他力往生に憑みを懸くべきなり。
 ここに愚人また云わく、もっての外盛んにいみじき密宗の行人あり。これも予が歎きを訪わんがために来臨して、始めには狂言・綺語のことわりを示し、終わりには顕密二宗の法門を談じて、予に問うて云わく、そもそも汝は、いかなる仏法をか修行し、いかなる経論をか読誦し奉るや。予答えて云わく、我、一日、ある居士の教えによって、浄土の三部経を読み奉り、西方極楽の教主に憑みを深く懸くるなり。
 行者云わく、仏教に二種有り。一には顕教、二には密教なり。顕教の極理は密教の初門にも及ばず云々。汝が執心の法を聞けば、釈迦の顕教なり。我が持つところの法は、大日覚王の秘法なり。実に三界の火宅を恐れ寂光の宝台を願わば、すべからく顕教をすてて密教につくべし。
 愚人驚いて云わく、我いまだ顕密二道ということを聞かず。いかなるを顕教と云い、いかなるを密教と云えるや。
 行者云わく、予はこれ頑愚にして、あえて賢を存せず。しかりといえども、今、一・二の文を挙げて汝が矇昧を挑げん。顕教とは、舎利弗等の請いによって応身如来の説き給う諸教なり。密教とは、