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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

多し。諸国七道の木戸、これも、旅人のわずらい、ただこのことに在り。眼前のことなり。汝見ざるや否や。
 愚人色を作して云わく、汝が智分をもって上人を謗じ奉り、その法を誹ること、謂れ無し。知って云うか、愚かにして云うか。おそろし、おそろし。
 その時、居士笑って云わく、ああおろかなり、おろかなり。彼の宗の僻見をあらあら申すべし。そもそも教に大小有り、宗に権実を分かてり。鹿苑施小の昔は化城の戸ぼそに導くといえども、鷲峰開顕の筵にはその得益さらにこれ無し。
 その時、愚人茫然として居士に問うて云わく、文証・現証実にもってしかなり。さて、いかなる法を持ってか生死を離れ速やかに成仏せんや。
 居士示して云わく、我在俗の身なれども、深く仏道を修行して、幼少より多くの人師の語を聞き、ほぼ経教をも開き見るに、末代我らがごとくなる無悪不造のためには、念仏往生の教えにしくはなし。されば、恵心僧都は「夫れ、往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり」と云い、法然上人は諸経の要文を集めて一向専修の念仏を弘め給う。中にも、弥陀の本願は諸仏超過の崇重なり。始め無三悪趣の願より終わり得三法忍の願に至るまで、いずれも悲願めでたけれども、第十八の願、殊に我らがために殊勝なり。また十悪・五逆をもきらわず、一念・多念をもえらばず。されば、上一人より下万民に至るまで、この宗をもてなし給うこと、他に異なり。また往生の人それいくばくぞや。
 その時、愚人云わく、実に、小を恥じて大を慕い浅きを去って深きに就くは、仏教の理のみにあらず、世間にもこれ法なり。我早く彼の宗にうつらんと思う。委細に彼の旨を語り給え。彼の仏の悲