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難波のもしお草をかきあつめ、水くきのあとを形のごとくしるしおくなり。
悲しいかな、痛ましいかな。我ら無始より已来、無明の酒に酔って六道四生に輪回して、ある時は焦熱・大焦熱の炎にむせび、ある時は紅蓮・大紅蓮の氷にとじられ、ある時は餓鬼の飢渇の悲しみに値って五百生の間飲食の名をも聞かず。ある時は畜生の残害の苦しみをうけて、小さきは大きなるにのまれ、短きは長きにまかる。これを残害の苦と云う。ある時は修羅の闘諍の苦をうけ、ある時は人間に生まれて八苦をうく。生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五盛陰苦等なり。ある時は天上に生まれて五衰をうく。かくのごとく三界の間を車輪のごとく回り、父子の中にも、親の親たる、子の子たることをさとらず。夫婦の会い遇えるも、会い遇いたることをしらず。迷えることは羊目に等しく、暗きことは狼眼に同じ。我を生みたる母の由来をもしらず、生を受けたる我が身も、死の終わりをしらず。
ああ、受け難き人界の生をうけ、値い難き如来の聖教に値い奉れり。一眼の亀の浮き木の穴にあえるがごとし。今度もし生死のきずなをきらず、三界の籠樊を出でざらんこと、かなしかるべし、かなしかるべし。
ここに、ある智人来って示して云わく、汝が歎くところ実にしかなり。かくのごとく無常のことわりを思い知り善心を発す者は、麟角よりも希なり。このことわりを覚らずして悪心を発す者は、牛毛よりも多し。汝早く生死を離れ菩提心を発さんと思わば、吾最第一の法を知れり。志あらば、汝がためにこれを説いて聞かしめん。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(034)聖愚問答抄 | 文永5年(’68) | 47歳 |