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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

仏教の雨に潤い、五戒・十善・禅定等の功徳を修するは、花さき菓なるがごとし。雨ふれどもいりたる種のおいず、かえりてくちうするは、女人の仏教にあいて生死をはなれずして、かえりて仏法を失い、悪道に堕つるに譬うべし。これを「能く仏の種子を断つ」とは申すなり。
 涅槃経の文に「一切の江河のまがれるがごとく、女人もまたまがれり」と説かれたるは、水はやわらかなる物なれば、石山なんどのこわき物にさえられて水のさきひるむゆえに、あれへこれへ行くなり。女人もまたかくのごとし。女人の心をば水に譬えたり。心よわくして水のごとくなり。道理と思うことも、男のこわき心に値いぬれば、せかれてよしなき方へおもむく。また、水にえがくにとどまらざるがごとし。女人は不信を体とするゆえに、只今さあるべしと見ることも、またしばらくあれば、あらぬさまになるなり。仏と申すは正直を本とす。故に、まがれる女人は仏になるべからず。五障三従と申して、五つのさわり、三つしたがう事あり。されば銀色女経には「三世の諸仏の眼は大地に落つとも、女人は仏になるべからず」と説かれ、大論には「清風はとるといえども、女人の心はとりがたし」と云えり。
 かくのごとく諸経に嫌われたりし女人を、文殊師利菩薩の妙の一字を説き給いしかば、たちまちに仏になりき。あまりに不審なりし故に、宝浄世界の多宝仏の第一の弟子・智積菩薩、釈迦如来の御弟子の智慧第一の舎利弗尊者、四十余年の大小乗経の経文をもって竜女の仏になるまじき由を難ぜしかども、終に叶わず仏になりにき。初成道の「能く仏の種子を断つ」、双林最後の「一切の江河必ず回曲有り」の文も破れぬ。銀色女経ならびに大論の亀鏡も空しくなりぬ。智積・舎利弗は舌を巻いて口