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の小国の人々も、皆これをみる。六欲・四禅・色・無色・梵王・帝釈・第六天の魔王も、閻魔法王等も、皆、御覧ありき。三千大千世界・十方法界の衆生も、皆、聞きしなり。
されば、大地微塵劫はすぐとも、無間大城を出ずべからず。劫石はひすらぐとも、阿鼻大城の苦はつきじとこそ思い合いたりしに、法華経の提婆品にして、教主釈尊の昔の師・天王如来と記し給うことこそ不思議におぼゆれ。爾前の経々実ならば法華経は大妄語、法華経実ならば爾前の諸経は大虚誑罪なり。提婆が三逆をつぶさに犯してその外無量の重罪を作りし、天王如来となる。いわんや、二逆・一逆等の諸の悪人の得道疑いなきこと、譬えば、大地をかえすに草木等のかえるがごとく、堅石をわる者軟草をわるがごとし。故に、この経をば妙と云う。
女人をば内外典にこれをそしり、三皇五帝の三墳五典に諂曲の者と定む。されば、「災いは三女より起こる」と云えり。国の亡び人の損ずる源は、女人を本とす。内典の中には、初成道の大法たる華厳経には「女人は地獄の使いなり。能く仏の種子を断つ。外面は菩薩に似て、内心は夜叉のごとし」と云い、双林最後の大涅槃経には「一切の江河必ず回曲有り。一切の女人必ず諂曲有り」と。また云わく「あらゆる三千界の男子の諸の煩悩を合わせ集めて、一人の女人の業障となす」等云々。
大華厳経の文に「能く仏の種子を断つ」と説かれて候は、女人は仏になるべき種子をいれり。譬えば、大旱魃の時、虚空の中に大雲おこり大雨を大地に下らすに、かれたるがごとくなる無量無辺の草木、花さき菓なる。しかりといえども、いれる種はおいずして、結句、雨しげければくちうするがごとし。仏は大雲のごとく、説教は大雨のごとく、かれたるがごとくなる草木を一切衆生に譬えたり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(033)法華経題目抄(妙の三義の事) | 文永3年(’66)1月6日 | 45歳 |