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云々。この文は、大論に法華経の妙の徳を釈する文なり。妙楽大師、釈して云わく「治し難きを能く治す。ゆえに妙と称す」等云々。総じて成仏・往生のなりがたき者四人あり。第一には決定性の二乗、第二には一闡提人、第三には空心の者、第四には謗法の者なり。これらを法華経において仏になさせ給う故に、法華経を妙とは云うなり。
提婆達多は、斛飯王の第一の太子、浄飯王にはおい、阿難尊者がこのかみ、教主釈尊にはいとこ、南閻浮提にかろからざる人なり。須陀比丘を師として出家し、阿難尊者に十八変をならい、外道の六万蔵、仏の八万蔵を胸にうかべ、五法を行じて、ほとんど仏よりも尊きけしきなり。両頭を立てて破僧罪を犯さんために、象頭山に戒壇を築き、仏弟子を招きとり、阿闍世太子をかたらいて云わく「我は仏を殺して新仏となるべし。太子は父の王を殺して新王となり給え」。阿闍世太子、すでに父の王を殺せしかば、提婆達多はまた仏をうかがい、大石をもちて仏の御身より血をいだし、阿羅漢たる華色比丘尼を打ちころし、五逆の内たる三逆をつぶさにつくる。その上、瞿伽利尊者を弟子とし、阿闍世王を檀那とたのみ、五天竺・十六の大国・五百の中国等の一逆・二逆・三逆等をつくれる者、皆、提婆が一類にあらざることこれなし。たとえば、大海の諸河をあつめ、大山の草木をあつめたるがごとし。智慧の者は舎利弗にあつまり、神通の者は目連にしたがい、悪人は提婆にかたらいしなり。
されば、厚さ十六万八千由旬、その下に金剛の風輪ある大地すでにわれて、生身に無間大城に堕ちにき。第一の弟子・瞿伽梨も、また生身に地獄に入る。旃遮婆羅門女もおちにき。波瑠璃王もおちぬ。善星比丘もおちぬ。またこれらの人々の生身に堕ちしをば、五天竺・十六の大国・五百の中国・十千
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(033)法華経題目抄(妙の三義の事) | 文永3年(’66)1月6日 | 45歳 |