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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

衆生、始めて諸経の蔵の内の財をば見しりたりしなり。
 譬えば、大地の上に人畜・草木等あれども、日月の光なければ、眼ある人も人畜・草木の色かたちをしらず、日月いで給いてこそ、始めてこれをばしることには候え。爾前の諸経は長夜のやみのごとし。法華経の本迹二門は日月のごとし。諸の菩薩の二目ある、二乗の眇目なる、凡夫の盲目なる、闡提の生盲なる、共に爾前の経々にてはいろかたちをばわきまえずありしほどに、法華経の時、迹門の月輪始めて出で給いし時、菩薩の両眼先にさとり、二乗の眇目次にさとり、凡夫の盲目次に開き、生盲の一闡提、未来に眼の開くべき縁を結ぶ。これひとえに妙の一字の徳なり。
 迹門十四品の一妙、本門十四品の一妙、合わせて二妙。迹門の十妙、本門の十妙、合わせて二十妙。迹門の三十妙、本門の三十妙、合わせて六十妙。迹門の四十妙、本門の四十妙、観心の四十妙、合わせて百二十重の妙なり。六万九千三百八十四字、一々の字の下に一つの妙あり。総じて六万九千三百八十四の妙あり。妙とは、天竺には薩と云い、漢土には妙と云う。
 妙とは具の義なり。具とは円満の義なり。法華経の一々の文字、一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり。譬えば、大海の一渧の水に一切の河の水を納め、一つの如意宝珠の芥子ばかりなるが一切の如意宝珠の財を雨らすがごとし。
 譬えば、秋冬枯れたる草木の、春夏の日に値って、枝葉・華菓出来するがごとし。爾前の秋冬の草木のごとくなる九界の衆生、法華経の妙の一字の春夏の日輪にあいたてまつりて、菩提心の華さき、成仏・往生の菓なる。竜樹菩薩、大論に云わく「譬えば、大薬師の能く毒をもって薬となすがごとし」