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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

りしかども、四十二年が間は名をひしてかたりいださざりしかども、仏の御年七十二と申せし時、はじめて妙法蓮華経ととなえいださせ給いたりき。しかりといえども、摩訶尸那・日本等の辺国の者は御名をもきかざりき。一千一十余年すぎて三百五十余年に及びてこそ、わずかに御名ばかりをば聞きたりしか。
 されば、この経に値いたてまつることをば、三千年に一度花さく優曇華、無量無辺劫に一度値うなる一眼の亀にもたとえたり。大地の上に針を立てて、大梵天王宮より芥子をなぐるに、針のさきに芥子のつらぬかれたるよりも、法華経の題目に値うことはかたし。この須弥山に針を立てて、かの須弥山より大風つよく吹く日いとをわたさんに、いたりてはりの穴にいとのさきのいりたらんよりも、法華経の題目に値い奉ることかたし。されば、この経の題目をとなえさせ給わんには、おぼしめすべし、生盲の始めて眼あきて父母等をみんよりもうれしく、強きかたきにとられたる者の、ゆるされて妻子を見るよりもめずらしとおぼすべし。
 問うて云わく、題目ばかりを唱うる証文これありや。
 答えて云わく、妙法華経の第八に云わく「法華の名を受持せん者、福は量るべからず」。正法華経に云わく「もしこの経を聞いて、名号を宣持せば、徳は量るべからず」。添品法華経に云わく「法華の名を受持せん者、福は量るべからず」等云々。これらの文は、題目ばかりを唱うる福、計るべからずとみえぬ。一部八巻二十八品を受持・読誦し、随喜・護持等するは広なり。方便品・寿量品等を受持し、乃至護持するは略なり。ただ一四句偈、乃至題目ばかりを唱え、となうる者を護持するは要な