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れ有り。五逆の者、仏道を成ず。これ実には諸経にこれ無し。諸経にこれ有りと云うといえども、実には「未顕真実」なり。故に、一代聖教を諳んぜし天台智者大師、釈して云わく「他経は、ただ菩薩にのみ記して二乗に記せず。ただ善にのみ記して悪に記せず乃至今経は皆記す」等云々。余はしばらくこれを略す。
第二には山に譬う。十宝山等とは、山の中には須弥山第一なり。十宝山とは、一には雪山、二には香山、三には軻梨羅山、四には仙聖山、五には由乾陀山、六には馬耳山、七には尼民陀羅山、八には斫伽羅山、九には宿慧山、十には須弥山なり。先の九山とは諸経諸山のごとし。ただし、一々に財あり。須弥山は衆財を具して、その財に勝れたり。例せば、世間の金の閻浮檀金に及ばざるがごとし。華厳経の法界唯心、般若の十八空、大日経の五相成身、観経の往生より、法華経の即身成仏勝れたるなり。
須弥山は金色なり。一切の牛馬・人天・衆鳥等、この山に依れば、必ず本の色を失って金色なり。余山はしからず。一切の諸経は法華経に依れば本の色を失う。例せば、黒色の物の日月の光に値えば色を失うがごとし。諸経の往生・成仏等の色は、法華経に値えば必ずその義を無う。
第三には月に譬う。衆星は、あるいは半里、あるいは一里、あるいは八里、あるいは十六里には過ぎず。月は八百余里なり。衆星は光有りといえども、月に及ばず。たとい百千万億乃至一四天下・三千大千・十方世界の衆星これを集むとも、一つの月の光に及ばず。いかにいわんや、一つの星、月の光に及ぶべきや。華厳経・阿含経・方等・般若・涅槃経・大日経・観経等の一切の経これを集むとも、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(032)薬王品得意抄 | 文永2年(’65) | 44歳 |