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ところの行苦は称計すべからず。また一切衆生の骸骨をや」云々。
かくのごとく、いたずらに命を捨つるところの骸骨は、毘富羅山よりも多し。恩愛あわれみの涙は四大海の水よりも多けれども、仏法のためには一骨をもなげず。一句一偈を聴聞して一滴の涙をもおとさぬゆえに、三界の籠樊を出でずして、二十五有のちまたに流転する衆生にて候なり。
しかるあいだ、いかにとして三界を離るべきと申すに、仏法修行の功力によって、無明のやみはれて法性真如の覚りを開くべく候。さては仏法はいかなるをか修行して生死を離るべきぞと申すに、ただ一乗妙法にてあるべく候。されば、恵心僧都、七箇日賀茂に参籠して、「生死を出離するはいかなる教えにてか候べき」と祈請申され候いしに、明神の御託宣に云わく「釈迦の説教は一乗に留まり、諸仏の成道は妙法に在り。菩薩の六度は蓮華に在り。二乗の得道はこの経に在り」云々。普賢経に云わく「この大乗経典は、諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり」云々。
この経より外はすべて成仏の期有るべからず候上、ことさら女人成仏のことは、この経より外はさらにゆるされず。結句、爾前の経にてはおびただしく嫌われたり。されば、華厳経に云わく「女人は地獄の使いなり。能く仏の種子を断つ。外面は菩薩に似て、内心は夜叉のごとし」云々。銀色女経に云わく「三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも、法界の諸の女人は永く成仏の期無し」云々。あるいはまた、女人には五障三従の罪深しと申す。それは、内典には五障を明かし、外典には三従を教えたり。その三従とは、少くしては父母に従い、盛んにしては夫に従い、老いては子に従う。一期、身を
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(031)女人成仏抄 | 文永2年(’65) | 44歳 |