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嫌うなり。
夫れ以んみれば、戒を持つは、父母・師僧・国王・主君・一切衆生・三宝の恩を報ぜんがためなり。父母は養育の恩深し。一切衆生は互いに相助くる恩重し。国王は正法をもって世を治むれば、自他安穏なり。これによって、善を修すれば恩重し。主君もまた、彼の恩を蒙って父母・妻子・眷属・所従・牛馬等を養う。たといしからずといえども、一身を顧みる等の恩これ重し。師はまた、邪道を閉じ、正道に趣かしむる等の恩これ深し。仏恩は言うに及ばず。かくのごとき無量の恩分これ有り。しかるに、二乗は、これらの報恩皆欠けたり。故に、一念も二乗の心を起こすは、十悪五逆に過ぎたり。一念も菩薩の心を起こすは、一切諸仏の後心の功徳を起こせるなり。已上、四十余年の間の大小乗の戒なり。
法華経の戒と言うは、二つ有り。一には相待妙の戒、二には絶待妙の戒なり。
まず相待妙の戒とは、四十余年の大小乗の戒と法華経の戒と相対して、爾前を麤戒と云い法華経を妙戒と云って、諸経の戒をば、未顕真実の戒、歴劫修行の戒、決定性の二乗の戒と嫌うなり。法華経の戒は、真実の戒、速疾頓成の戒、二乗の成仏を嫌わざる戒等なり。相対して麤・妙を論ずるを相待妙の戒と云うなり。
問うて云わく、梵網経に云わく「衆生、仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位、大覚に同じ已わって、真にこれ諸仏の子なり」文。華厳経に云わく「初発心の時、便ち正覚を成ず」文。大品経に云わく「初発心の時、即ち道場に坐す」文。これらの文のごとくんば、四十余年の大乗戒において、法華経のごとく速疾頓成の戒有り。何ぞただ歴劫修行の戒なりと云うや。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(026)十法界明因果抄 | 文応元年(’60)4月21日 | 39歳 |