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これらの文をもってこれを思うに、小乗戒を持って破る者は六道の民と作り、大乗戒を破る者は六道の王と成り、持つ者は仏と成る、これなり。
第七に声聞道とは、この界の因果をば、阿含の小乗の十二年の経に分明にこれを明かせり。諸大乗経においても、大に対せんがために、またこれをば明かせり。
声聞において四種有り。一には優婆塞、俗男なり。五戒を持って苦・空・無常・無我の観を修し、自調自度の心強くして、あえて化他の意無く、見思を断じ尽くして阿羅漢と成る。かくのごとくする時、自然に髪を剃るに自ずから落つ。二には優婆夷、俗女なり。五戒を持って髪を剃るに自ずから落つること、男のごとし。三には比丘僧なり。二百五十戒〈具足戒なり〉を持って苦・空・無常・無我の観を修し、見思を断じて阿羅漢と成る。かくのごとくするの時、髪を剃らざれども生えず。四には比丘尼なり。五百戒を持つ。余は比丘のごとし。
一代諸経に列座せる舎利弗・目連等のごとき声聞これなり。永く六道に生ぜず。また仏菩薩とも成らず。灰身滅智し、決定して仏に成らざるなり。
小乗戒の手本たる尽形寿の戒は、一度依身を壊れば、永く戒の功徳無し。上品を持てば二乗と成り、中・下を持てば人天に生じて民となり、これを破れば三悪道に堕ちて罪人と成るなり。安然和尚、広釈に云わく「三善の世戒は、因生じて果を感じ、業尽きて悪に堕つ。譬えば、楊葉の、秋至れば金に似たれども、秋去れば地に落つるがごとし。二乗の小戒は、持つ時は果拙く、破る時は永く捨つ。譬えば、瓦器の、完きも用いるに卑しく、もし破れば永く失するがごとし」文。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(026)十法界明因果抄 | 文応元年(’60)4月21日 | 39歳 |