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故に、王となることを得。下の中品に持てば、禽獣の王として一切の飛走皆帰伏す。清浄の戒において欠犯有るも、戒の勝るるに由るが故に、王となることを得。下の下品に持てば、琰魔王として地獄の中に処して常に自在なり。禁戒を毀り悪道に生ずといえども、戒の勝るるに由るが故に、王となることを得○もし如来の戒を受けざることあらば、終に野干の身をも得ること能わず。いかにいわんや、能く人天の中の最勝の快楽を感じて王位に居せんをや」文。
安然和尚、広釈に云わく「菩薩の大戒は、持てば法王と成り、犯しても世王と成る。しかも戒の失せざること、譬えば、金銀を器となすに、用いるに貴く、器を破って用いざれども、宝は失せざるがごとし」。また云わく「無量寿観に云わく『劫初より已来、八万の王有ってその父を殺害す。これは則ち菩薩戒を受けて国王と作るといえども、今、殺の戒を犯して皆地獄に堕つ。犯すも、戒の力もて王と作る』。大仏頂経に云わく『発心の菩薩、罪を犯せども、しばらく天神地祇と作る』。大随求に云わく『天帝命尽きて、たちまち驢の腹に入れども、随求の力に由って、還って天上に生ず』。尊勝に云わく『善住天子、死後、七返応に畜生の身に堕つべきを、尊勝の力に由って、還って天の報いを得たり』。昔、国王有り、千車もて水を運び、仏塔の焼くるを救う。自ら憍心を起こして阿修羅王と作る。昔、梁の武帝、五百の袈裟を須弥山の五百の羅漢に施す。誌公云わく『往って施すに、五百に一りを欠く』。衆云わく『罪を犯して、しばらく人王と作る』。即ち武帝これなり。昔、国王有り、民を治むること等しからず。今天王と作れども、大鬼王となる。即ち東南西の三天王これなり。拘留孫の末に、菩薩と成って発誓し、現に北方の毘沙門と作る、これなり」云々。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(026)十法界明因果抄 | 文応元年(’60)4月21日 | 39歳 |