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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

総じて六百三十七部二千八百八十三巻なり。皆すべからく『大乗を読誦す』の一句に摂むべし○当に知るべし。随他の前にはしばらく定散の門を開くといえども、随自の後には還って定散の門を閉ず。一たび開いてより以後永く閉じざるは、ただこれ念仏の一門のみなり」文。
 また最後結句の結文に云わく「夫れ、速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣いて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑の二行の中に、しばらく諸の雑行を抛って、選んで応に正行に帰すべし」〈已上、選択集の文なり〉。
 今これを勘うるに、日本国中の上下万人、深く法然上人を信じてこの書を挊ぶ。故に、無智の道俗、この書の中の捨閉閣抛等の字を見て、浄土三部経・阿弥陀仏より外の諸経・諸仏菩薩・諸天善神等において捨閉閣抛等の思いを作し、彼の仏経等において供養・受持等の志を起こさず、還って捨離の心を生ず。故に、古の諸大師等の建立せしところの鎮護国家の道場零落せしむといえども、護惜建立の心無し。護惜建立の心無きが故にまた読誦供養の音絶え、守護の善神も法味を嘗めざるが故に国を捨てて去り、四依の聖人も来らざるなり。ひとえに、金光明・仁王等の「一切の聖人去らん時は、七難必ず起こらん」「我ら四王、みな捨て去らん。既に捨離し已われば、その国に当に種々の災禍有るべし」の文に当たれり。あに「諸の悪比丘は、多く名利を求む」「悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲なり」の人にあらずや。
 疑って云わく、国土において選択集を流布せしむるによって災難起こると云わば、この書無き已前には国中において災難無かりしか。