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この娑婆世界は耳根得道の国なり。以前に申すごとく、「当に知るべし、身土」云々。一切衆生の身に百界千如・三千世間を納むる謂れを明かすが故に、これを耳に触るる一切衆生は功徳を得る衆生なり。一切衆生と申すは、草木・瓦礫も一切衆生の内なるか〈有情・非情〉。そもそも草木は何ぞ。金錍論に云わく「一草・一木・一礫・一塵、各一仏性、各一因果あり。縁・了を具足す」等云々。法師品の始めに云わく「無量の諸天・竜王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽、人と非人、および比丘・比丘尼、妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せば、我は皆ために阿耨多羅三藐三菩提の記を授く」云々。非人とは、総じて人界の外、一切有情界とて心あるものなり。いわんや人界をや。
法華経の行者は、如説修行せば、必ず一生の中に一人も残らず成仏すべし。譬えば、春夏、田を作るに、早・晩あれども、一年の中には必ずこれを納む。法華の行者も、上・中・下根あれども、必ず一生の中に証得す。玄の一に云わく「上・中・下根、皆記別を与う」云々。
観心ばかりにて成仏せんと思う人は、一方かけたる人なり。いわんや、教外別伝の坐禅をや。法師品に云わく「薬王よ。多く人有って在家・出家にて菩薩の道を行ぜんに、もしこの法華経を見・聞・読・誦・書・持・供養することを得ること能わずんば、当に知るべし、この人はいまだ善く菩薩の道を行ぜず。もしこの経典を聞くことを得ることあらば、乃ちよく菩薩の道を行ず」云々。観心ばかりにて成仏すべくんば、いかでか「見・聞・読・誦」と云わんや。この経は専ら「聞」をもって本となす。
およそこの経は、悪人・女人・二乗・闡提を簡わず。故に、「皆成仏道」とも云い、また「平等大
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(020)一念三千法門 | 正嘉2年(’58) | 37歳 |